赤見
【あかみ】

旧国名:下野
足尾山地南縁の台地上に位置する。東部を東山・中山山系,西部を鳩峰・越所山系に南北に長く囲まれた中央部,および山麓に集落を形成。東端を旗川,中央部の低湿地を出流(いずる)川が南流する。石灰岩層が東山に分布し,フズリナ化石を多産する。縄文時代の北の内・本郷・千代が岡・町屋・東山西麓などの遺跡,市の沢古墳群・中山1~12号墳・東山1~12号墳・蓮沼1~11号墳・十二天塚古墳があり,そのほか字町屋・駒場・山崎にも大小の古墳が散在する。最大の古墳は十二天塚で,径38m・高さ7m,付近から産出する石灰岩を用いた横穴式石室が開口している。古代の遺跡としては,ドーギ・大門・町屋・松葉などの遺跡があり,中世遺跡として赤見城(町屋城ともいう)跡がある。本丸跡を東西約50m・南北約60m・高さ4m程の土塁が方形に囲み,水濠も一部残存する。城主は,鎌倉期は戸賀崎氏と伝え,戦国期はその子孫の赤見氏という。地内の満願寺には,城主であった赤見六郎の供養塔がある。また,同寺には嘉吉年間と享徳3年の板碑があり,赤見小学校にも年月日未詳の板碑が残る。
【赤見(古代)】 奈良期に見える地名。
【赤見郷(中世)】 鎌倉期~室町期に見える郷名。
【赤見村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【赤見村(近代)】 明治22年~昭和23年の安蘇郡の自治体名。
【赤見町(近代)】 昭和23~30年の安蘇郡の自治体名。
【赤見(近代)】 明治22年~昭和30年の大字名。
【赤見町(近代)】 昭和30年~現在の佐野市の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7040458 |





