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安房神社
【あわじんじゃ】


小山(おやま)市粟宮にある神社。延喜式内社。旧郷社。祭神は天太玉命・菟道稚郎子尊。中世期にはもっぱら粟宮と呼ばれた。社伝では,崇神天皇の時の四道将軍の1人で,東海地方に派遣された武渟川別命が勅により創祀したというが,安房国安房神社を勧請したとも伝え,創祀は明確ではない。仁徳天皇朝に社殿が再建されたとも伝える。「古語拾遺」によれば,天太玉命の孫天富命は阿波(徳島県)の忌部を率いて安房の地を開き,天太玉命を祀ったのが安房国安房神社とする。従って当社は阿波忌部氏の進出によって創祀されたとも考えられるが,詳細は未詳。「延喜式」神名帳寒川郡条に「阿房神社」と見える。天慶2年には平将門討伐のために藤原秀郷が戦勝祈願をし,社領を寄進するなど守護神として篤く信仰したと伝える。中世には小山・結城・佐野の諸氏の崇敬を受けた(旧県史3)。正統小山氏の滅亡後も,その後を継いだ結城氏などの重興小山氏の保護を受け,小山政長は諸公事などを免除し,高朝も天文9年4月「国府(都賀)郡惣社郷」の内2貫文を寄進している。古河公方足利政氏・高基とも関係を有し,そのためにたびたび祈祷している。年未詳4月21日付足利晴氏書状では,晴氏が当社内の張陣を禁止したことが知られる(以上,安房神社文書/小山市史史料編中世)。そのため兵火に罹り,大いに衰退して廃滅状態になった(旧県史3)。その後小山・結城・佐野各氏の子孫が隠伏しながら祭祀を続け,近世には真言宗の医王院持宝寺が別当を勤めたといわれる。明治10年郷社に列格。例祭は11月21日。中世の「安房神社文書」10点は市文化財。境内のモミ群落は市天然記念物。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7040582