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生岡神社
【いくおかじんじゃ】


日光市七里にある神社。旧村社。祭神は大己貴命・田心姫命・味耜高彦根命。もとこの地にあった生岡大日堂の鎮守社であった。勝道上人が日光開山に先立ち,この地で修行したと伝え,ここから日光神橋まで7里なので七里の地名が生まれ,また神出現の地ゆえに生岡と呼ばれた(日光道中略記,堂社建立記)。大日堂は弘仁11年弘法大師がはじめて二荒山に登拝した時,山麓のこの地に一時とどまって大日如来を刻み,草庵に安置したのに始まる(日光山志)。境内南側の古代祭祀遺跡からは,平安期頃と推定される遺物が出土した。その頃には二荒山信仰の一拠点だったのであろう。鎌倉期の「宴曲集」に「日光六波羅蜜の一檀波羅蜜」とあるのは当大日堂と推定されている。中世には近くの生岡山王(現日枝神社,日光市野口)の支配下にあって,室町期には「生の峯」と呼ばれる峯修行入峯の宿として栄えた(当山三峯五禅頂并往古行事)。天正18年宇都宮国綱らの兵火で,寺堂などを焼失(旧県史3)。江戸期には,日光山の支配となり山王社の支配は止められた(日光山志)。明治期の神仏分離で大日堂などの坊舎は廃され,鎮守社のみ残され生岡神社となった。はじめ日光二荒山神社の摂社,明治14年に独立して村社となった。境内の杉の大木は樹齢500年で県指定天然記念物。毎年11月25日の強飯式は「日光山志」にも「おはじき(御飯式)の案内」として紹介されるが,その頃は正月8日の行事。煮た芋を日光山の堂衆に饗応するのがもともとの姿と考えられる。同様の行事は輪王寺はじめ県内にいくつかあるが,当社のものは行事の中心となる山伏と強力の役を子供が勤めるので,子供強飯式と呼ばれる(市指定無形文化財)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7040625