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今宮神社
【いまみやじんじゃ】


塩谷郡氏家町馬場にある神社。旧郷社。祭神は素戔嗚尊・豊城入彦命・大国主命。古くは氏家明神とも称した。社伝によれば,康平3年に源頼義が奥州を平定した折,宇都宮大明神をこの地に勧請したのにはじまる。「下野国誌」は,宇都宮朝綱の五男氏家五郎公頼がこの地に築城した際,宇都宮明神を城の鎮守として勧請したとする。「下野風土記」には本地を馬頭観音とし,「宇都宮明神ヲ示現太郎ト云,塩谷明神ヲ示現次郎ト云,氏家明神ヲ示現三郎ト云」とある。中世宇都宮氏の同族結合が,祭神の序列に反映したものと思われる。氏家氏の氏神であるとともに,その支配領域氏家二十四郷の総鎮守ともいわれていた。「今宮祭祀録」によれば,当社はもと氏家郷の南端にあったが,正安3年現在地に遷座し,宇都宮氏の主導下に本殿以下の社殿がすべて造営され,その造営役が氏家領内の諸郷に課せられた。この記録には,正安2年から文禄2年間に祭祀頭役に任ぜられた人名・郷名が記録されている。応永9年の「今宮東廻廊」造営,天正13年の南方氏尚乱入による「大明神ノ御殿ヲ初メ楼門・廻廊・日光堂・大御堂・小寺山蓬莱其外興禅寺・東勝寺」の全焼なども知られる(氏家町史)。長享3年4月10日付の棟札には「氏家郷今宮大明神御社壇」とあって,宇都宮成綱と芳賀綱高が連名し,天文11年12月28日付の棟札にも宇都宮俊綱と芳賀高秀の名が見える。氏家氏の名は見えないが,このころ同氏は衰退していたらしい(同前)。元和7年,宇都宮城下に疫病が大流行し,城主が当社に祈祷せしめたところおさまったので,神田5石を寄進した(同前)。寛文11年には朝廷より正一位の位階を受けたという(氏家記録伝/氏家町史)。明治5年郷社に列格。明治44年に稲荷神社,雷神社を合祀し,大正3年に天満宮を分祠した。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7040759