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今宮神社
【いまみやじんじゃ】


鹿沼市今宮町にある神社。旧県社。祭神は大己貴命・田心姫神・味耜高彦根神。他に少彦名神を配祀する。社伝では延暦元年の創祀といい,大同年間に日光二荒山神社の祭神3座を勧請した。その頃は御所森(鹿沼北小学校の北方)にあって,押原66郷の総鎮守だった(鹿沼町史)。その後天文元年,壬生綱房が坂田山に築城した際,城内に遷して今宮大権現と称したと伝える。「押原推移録」には天文年間銘の棟札写が収められ,「奉新造御神領惣政所壬生下総守綱房,綱房第二男年数十七当御留守坐禅院昌膳阿闍梨」と記され,壬生氏の天文年間の社殿新造を裏付ける。永禄2年銘の銅製鰐口(県文化財)にも「鹿沼今宮権現 奉修造当上人賢意成就院(中略)大旦那御留守昌」「壬生下総守綱良」とあり,壬生氏との関係を教えている。坐禅院は日光山内の一院で,日光の権別当(当時御留守居と呼ばれた)が山務を執った所で,当社と日光山との関係も深かった。成就院は市内楡木町にある真言宗寺院で,このころ当社の別当寺だったかと思われる。ただ,安永年間の「日光正一位今宮大権現書上」によると当社には別所神宮寺という社僧があった(鹿沼市史)。天正15年に壬生義雄が社殿上葺をし,慶長13年にも再興したと「押原推移録」にあり,戦国期には度々荒廃していたと思われる。慶安元年に徳川家は50石の朱印領を寄進した(寛文朱印留)。近世期には藩主の崇敬を受けるとともに,城下諸町の総鎮守として毎年6月の祭礼(現在は10月9・10日)は各町の氏子たちによる大規模なものとなった。明治5年郷社,昭和6年に県社となる。参道正面にある唐門は嘉永2年の建築で,繊細な彫刻が施されている(県指定文化財)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7040760