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大神神社
【おおみわじんじゃ】


栃木市惣社町にある神社。旧県社。祭神は倭大物主櫛玉命。瓊々杵命・彦火々出見命など7神を配祀する。下野国惣社といわれ,室六所神社とも称した(地名辞書)。祭神の倭大物主櫛玉命は大己貴命の和魂の特殊神名で,大和国三諸山の神。社伝では,崇神天皇48年豊城入彦命が勅を奉じて三諸山の大神神社を勧請,室八島の地に祀ったのが創祀という。「延喜式」神名帳都賀郡条の「大神(神脱カ)社」は,当社あるいは市内平井町の太平山神社に比定されるが,確定はできない。天慶2年11月平将門討伐の勅を奉じた押領使藤原秀郷は戦勝を祈願,乱の後,国内衆庶の篤い崇敬を受け,保元・平治年間頃には社殿は壮麗を極めたという。室八島に国衙が置かれると,国内の諸神を勧請して惣社と称した。年未詳小山朝政所領注文案,寛喜2年2月20日付生西(小山朝政)譲状に「惣社敷地〈同惣社野荒居〉」と見え,中世には,「宮目社」(市内田村町所在宮延神社)などと同様に,小山氏が国衙在庁での地位を利用して自らの所領として組み込んでいたと考えられる(小山文書/県史中世1)。天正12年北条氏直と皆川広照の合戦で,皆川軍が敗走して室八島に潜伏すると,北条軍の追撃により社殿・宝物などことごとく焼失した。相次ぐ戦乱のため当時は復興できなかったが,寛永17年4月徳川家光が日光社参の帰途参詣し,社領30石を寄進した(旧県史3)。天和2年5月社殿を再建(現存)。「奥の細道」を旅した芭蕉は当社に参詣したことがしられる(芭蕉文集/古典大系)。明治6年郷社,同44年県社に列格。例祭は4月16日で,日光東照宮から伝わったという岩戸神楽(市無形民俗文化財)が奉納される。11月20日~25日は御鉾祭。創祀以来の祭と伝え,高さ約4.5mの神鉾を仮屋に奉斎し,九良米(くらめ)様と呼ばれる童女を捧げる。還御後,神鉾の胎内から縄をとり出す神事があり,縄を安産のお守りとする参詣者でにぎわう。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7041043