春日城
【かすがじょう】

佐野城・姥ケ城・春日岡城などともいう。近世の平山城。佐野市若松町城山に所在。市史跡。慶長7年佐野信吉が築城。信吉は3万9,000石の大名として在城したが,慶長18年大久保長安の事件に連座し,信濃松本の小笠原家に預けられ,翌年所領された。それに伴い廃城となる。南北に連なる独立丘陵の頂部に主郭を構え,城域は東西約370m・南北約500m。連郭式の城郭。南北に長い丘陵は3か所東西に堀切りを設け,4つの郭を連ね,最高所に不整長方形状の本丸(65m×100m),その南に上幅約13m・深さ約8mの堀切りを隔てて二の丸(約75m×100m)が存する。さらにその南側に堀切りを隔てて方形状の三の丸(約75m×65m)がある。本丸の北側には堀切りを隔てて長方形状の北出丸(約30m×50m)が存する。本丸内には礎石群が残存し,家紋のある古瓦も出土。本丸北東部縁下に帯郭,二の丸東側中央部縁に井戸,さらに東側丘陵麓には湧水がみられる。本丸西側の丘陵麓辺は馬場といわれる。当城は水濠が囲繞していたらしく,北側によく残存,東側は一部残存,他は低地となる。西側は低地になっているのでその跡が推察され,南側は判然としないが,国鉄両毛線の南の古城の池を含め,東西に存したことは確かである。唐沢山城から移った平山城として城郭変遷史上重要である。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7041225 |