上久我
【かみくが】

旧国名:下野
足尾山地石裂山の西麓,大芦川の支流荒井川流域に位置する。横根・石裂(おざく)の山嶺を境として都賀郡・安蘇郡となっていたので,この地方を賀蘇郷とも呼んでいたという。加蘇山神社(加蘇おざく)・賀蘇山神社(粟野おざく)の両社の縁起によれば,現在両社の奥社が鎮座する石裂山が「三代実録」にある賀蘇山神社であったと伝える。元禄4年5月に作成された「日光山常行三昧堂新造大過去帳」によれば,「日光山往古社領六拾六郷」のほかに,宇都宮忠綱が久賀郷を日光山に寄進したという(輪王寺蔵/県史中世4)。
【上久我村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【上久我(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7041345 |





