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上三川
【かみのかわ】


旧国名:下野

岡本台地と田原台地の南端に位置する。台地東部には江川・鬼怒(きぬ)川が南流し,両河川の氾濫によって形成された沖積低地に肥沃な水田が広がっている。地名の由来は,天平年間に喜川田荘が上三川・中三川・下三川に区分されていた(権少講義柳田懿春撰)からとされるが,「和名抄」に三川郷が記されており,田川・無名瀬川と鬼怒川あるいは江川の3河川によって形成された沖積低地であったことから,三川郷の名が生じたといわれる。建長年間,中三川郷と称される時期もあったが,上三川城を築城した宇都宮四郎左衛門尉頼業によって,中三川郷と上三川郷に分郷され,天正年間に中三川郷が廃されて,上三川村が成立したという(上三川町史)。しかし,天正20年2月6日,宇都宮国綱は鹿沼における忠節に対し,関沢弥八郎・片庭清三郎にそれぞれ上三河・中三河で15貫文を充行っている(関沢文書・水府志料/県史中世4)。また,慶長13年9月11日烏山城主成田泰親(長忠)は,小森次郎右衛門に中三河村で100石,木河田村で100石を充行っており(小森徳右衛門文書/黄薇古簡集),中三川村が廃されて上三川村に含まれるのは江戸初期の慶長年間以降と思われる。露出石室では県内最大のかぶと塚石室があり,また吉田流の神楽を伝える白鷺神社がある。
上三河(中世)】 室町期~戦国期に見える地名。
上三川村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
上三川村(近代)】 明治22~26年の河内郡の自治体名。
上三川町(近代)】 明治26年~現在の河内郡の自治体名。
上三川(近代)】 明治22年~現在の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7041411