100辞書・辞典一括検索

JLogos

19

亀岡八幡宮
【かめおかはちまんぐう】


芳賀郡益子(ましこ)町小宅にある神社。旧郷社。祭神は誉田別命・息長足姫命・玉依姫命。「旧県史」3によれば,源義家が前九年の役に際して下向,芳賀郡古家郷に投宿したが,石清水八幡宮の神霊に戦勝を祈願すると,大亀が芦樫沼上に現れ瑞兆を示した。凱旋の後,康平7年古家郷の芦樫沼御館山に社殿を建立,亀岡八幡宮として創祀し,後冷泉天皇の勅願所となったという。別に,当社はもともと鴿峯八幡宮としてあり,大亀が奇瑞を示したので亀岡八幡宮と改称したとも伝える。その後,源頼朝は奥州藤原氏征討に際して武運を祈願,その報賽として建久3年社殿を改修し,現社地に移した。芳賀・塩谷両郡の惣社として崇敬され,鎌倉・室町幕府の歴代将軍は宇都宮氏に社殿の造営を命じたと伝える。源義家・頼朝などから寄進された社領は,慶長4年蒲生飛騨守が宇都宮城主となると没収された(旧県史3)。同9年6月伊奈忠次の神領証文によって「おやけ八幡領」として黒印7石が認められ,「仏事祭礼」への勤仕が求められた(伊奈忠次文書集成)。その後,慶安2年徳川家光から朱印地14石が寄進され,多々羅村内の除地7石とともに歴代将軍から安堵されたという(旧県史3)。明治初期郷社に列格。例祭は9月15日。なお本殿北側に大小2つの鞘堂があり,大きい方には名不詳の2社をはじめとして計4社が祀られている。この不詳のうちの1社を,「三代実録」貞観17年12月27日条で従五位上へ昇叙された「伊門神」とする説がある。当社は前方後円墳5基と円墳13基からなる県指定史跡小宅古墳群の東方に所在し,5世紀後半に大きな勢力を持った豪族のいたことを示唆している。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7041445