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佐貫石仏
【さぬきせきぶつ】


平安末期の石仏。塩谷郡塩谷町佐貫に所在。国史跡。鬼怒(きぬ)川左岸にそびえる観音岩と呼ばれる岩壁に彫像されている。岩壁の大露頭は佐貫石英粗面岩。周辺は高原山麓下野山地から独立した一種の残丘であり,北・東側は一般的な山地傾斜であるが,南・西側は絶壁になっている。この急崖は鬼怒川の側方浸食によって形成され,その下方には浸食による河食洞が2か所存在し,縄文・弥生時代の遺物が洞内から出土し,佐貫洞穴遺跡として知られる。大露頭に彫像された線刻の石仏は,長い歳月の風雨によって風化が進み全容を知るのは非常に困難。石仏は智拳印を結ぶ金剛界の大日如来坐像で,像高約18.2m,顔面の長さ約3m・幅約1.64mである。石仏の右肩上には奥の院大悲窟という小洞窟があり,観音像を安置しているという。60年に1度開扉され,明治12年開帳の際には古鏡2面(湖州鏡・蓬莱鏡)とともに,建保5年銘の銅版曼荼羅が発見され,この裏面には「下野国氏家郡讃岐郷巌堀修造事 勧進沙門満阿弥陀仏大檀那右兵衛尉橘公頼 建保五年丁丑二月彼岸第三日 金銅仏掘出畢」と陰刻されている。これは建保5年修理の際,金銅仏を掘り出した記念に曼荼羅の銅版を納めたもので,勧進僧満阿弥陀仏は当時の住職であろう。檀那橘公頼は宇都宮朝綱の三男で,宇都宮氏は藤姓だが橘姓を名乗っているのは母方の姓であろう。また氏家郡は私郡である。なお石仏は平安末期の造像と想定される。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7041983