下久我
【しもくが】

旧国名:下野
足尾山地石裂山の西麓,大芦川の支流荒井川流域に位置する。横根・石裂(おざく)の山嶺を境として都賀郡・安蘇郡となっていたので,この地方を賀蘇郷とも呼んでいたという。加蘇山神社(加蘇おざく)・賀蘇山神社(粟野おざく)の両社の縁起によれば,現在両社の奥社が鎮座する石裂山が「三代実録」にある賀蘇山神社であると伝える。久賀氏の拠城といわれる金ケ沢城跡がある。ほかに東西約175m・南北約120mの規模をもち,比高20mの舌状台地に築かれた久我城跡がある。大芦城と連携し,同城が危機に陥った時は大芦城に籠ったと伝える(県の中世城館跡)。
【下久我村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【下久我(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7042150 |





