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須賀神社
【すがじんじゃ】


小山(おやま)市宮本町にある神社。旧郷社。祭神は素盞嗚命・大己貴命・誉田別命。牛頭天王,祇園大明神などと呼ばれた。天王様が通称。社伝によれば,天慶年間の平将門の乱の時,下野押領使藤原秀郷は素盞嗚命に祈請して将門を討つことができた。報賽のため天慶3年4月祇園社を勧請して北山の地(市内中久喜)に祀ったのが創祀という。勧請した祇園社は山城の祇園社(八坂神社)とも尾張津島の牛頭天王社(津島神社)ともいわれる。平治年間頃小山政光が小山城を築くと城の鎮護神として崇敬され,現在地に移転し小山荘66郷の惣社と定めたと伝えるが(旧県史3),「下野国誌」はこの時の創祀としている。その後小山氏の滅亡にもかかわらず隆盛を保ち,慶長5年徳川家康が会津の上杉景勝征伐の際参詣,天下統一を祈願した(旧県史3)。同15年その報賽として,小山藩主本多正純に命じて立木村内に20石余,下石塚村内に15石余,喜沢新田に15石,計51石余の社領を寄進し(小山町牛頭天王社領寄進状写/小山市史),のち喜沢村で15石の朱印社領が認められたと伝える。近世の別当は感応寺,社僧は大行寺が勤めていた(下野国誌,小山町牛頭天王社社僧社人明細書上/同前)。明治維新に際して別当・社僧を廃し,旧号も廃して現社名に改称。明治5年郷社に列した。例祭は7月14~21日。近世には「当国第一の祇園会なり」といわれ(下野国誌),神輿渡御があってにぎわう。私年号「永喜2年」(大永7年)銘の銅鏡は,蓬莱鏡と呼ばれて旧国重美。ほぼ完形に近い貞治5年銘の宝篋印塔もある。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7042340