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綱神社
【つなじんじゃ】


芳賀郡益子(ましこ)町上大羽にある神社。旧村社。祭神は阿遅鉏高彦根命。綱明神と呼ばれた。宇都宮氏第3代の朝綱は小山氏・結城氏などとともに鎌倉御家人として重きをなしていたが,建久5年国司藤原行房から公田100余町の掠領を訴えられ,土佐国へ配流となった(吾妻鏡)。朝綱が土佐の賀茂明神に赦免を祈願すると間もなく宇都宮に帰ることができたので,隠棲地である当地に賀茂明神を勧請して,自分が開山となった地蔵院に隣接して社殿を建立したのが創祀と伝える。綱明神と呼ばれたのは朝綱が勧請したことにちなむといわれるが詳細は未詳(地名辞書)。創祀後の沿革は地蔵院と共に盛衰を経たものと思われるが,「宇都宮家弘安式条」第2条に「尾羽寺」(地蔵院)の修理に関する規定があり,「累祖之氏寺」として保護すべき旨が強調されているので,宇都宮氏によって創祀された当社もその保護は徹底していたと考えられる(宇都宮市史3)。文明4年社殿が再建されたと伝え,その後の宇都宮氏の廃絶にもかかわらず,近世期には朱印地15石が認められた(旧県史3)。江戸初期には賀茂明神,天保年間には土佐明神とも称されたという。明治維新に際して現社名に改称し,村社に列格。明治42年,西北方約1kmの大倉林にあった大倉神社を合祀し,その本殿は一時愛宕山の愛宕神社に移されたが,昭和32年の当社本殿解体修理の際境内に移建した。例祭は11月15日。旧暦6月に入る以前の産土神で14日~16日に行われる祇園祭は境内社八坂神社の祭礼で,古様をよく伝えている。本殿は茅葺きの流造で,棟の刈り込みが独特な形を示し,大きな箕甲とともに特色となっている(国重文)。摂社大倉神社は宇都宮氏が大羽,大同2年の創祀と伝える。その本殿(国重文)は向拝蟇股が室町期の特色をよく示し,本殿内の祭机に大永7年の墨書銘がある。浜縁を設けているのが綱神社本殿と異なる。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7042681