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那須神社
【なすじんじゃ】


大田原市南金丸にある神社。旧郷社。祭神は応神天皇。かつては金丸八幡宮と称し,現在もそれが一般的である。社伝によれば,仁徳天皇の時下毛野国造奈良別王が国家鎮護のため金瓊を当地に埋め,その上に宮を建てたのが創祀という。本来当地は野沢と称したが,金瓊を埋めたため金丸と改称したと伝える。当初の祭神は天照皇大神・日本武尊・春日大神だが,延暦年間に坂上田村麻呂が東征に際して参詣,応神天皇を勧請して金丸八幡宮と称し戦勝を祈願した。源義家は前九年の役で下向,天喜5年奇瑞により戦勝祈願し,その後報賽として社殿造営・社領寄進をしたという。後三年の役後にも社殿が造営された。那須与一は屋島の合戦後,太刀・弓などを奉納し,以後那須氏累代の氏神として崇敬された(以上,旧県史3)。文和4年那須氏が社殿を造営し,その時銅製鰐口も奉納された。この鰐口は形も古式で,県内最古の銘を持ち県指定文化財。近世になると黒羽城主大関氏は,当社,鎮国神社(黒羽町前田),温泉神社(黒羽町中野内)を「三社」と称し,その待遇は格別だった(創垂可継)。天正5年社殿が高増とその子清増によって改築された。現存の本殿はこの時のものといわれる。もとの拝殿の一部が使用され,柱や内部には彩色・金箔押し・絵画が施されている。県内でも貴重な桃山期のもので県指定文化財。またこの時にも銅製鰐口が奉納されている(県文化財)。寛永17年黒羽藩主大関増栄が社殿を改築,同時に金丸・檜木沢の内に50石の社領を寄進した(旧県史3)。現在の楼門(県文化財)は墨書銘からこの時の建造と知られ,上層一面に描かれた竜と雲水の図柄は狩野派のもの。「奥の細道」を旅した松尾芭蕉が参詣した八幡宮は当社のこと(芭蕉文集/古典大系)。明治6年現社名に改称し,郷社に列格。例祭は9月15日。白川大関入道義親の奉納とされ「牛切丸」と号する太刀,那須与一が扇の的を射た時に帯用していたといわれる太刀がある(いずれも県文化財)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7042981