湯本
【ゆもと】

旧国名:下野
那須岳の南東麓に位置する。地名の由来は,温泉が発見されたことにちなむ。那須御用邸建設の際に石器片・土器片が出土したというが,詳細は不明。湯本温泉は,舒明天皇の代に茗荷沢の狩野三郎行広が発見したと伝えられている。天平10年の駿河国正税帳には,「従病下下野国那須湯,従四位下小野朝臣,上一口,従二口」と記されてあり(正倉院文書/県史古代),この時期すでに那須の湯が奈良地方にまで知られていたことを物語っている(那須郡誌・那須町誌)。湯本温泉は,江戸期にすでに知られていた弁天・大丸・北・高雄股・三斗小屋・板室の各湯とともに「那須七湯」と称され,明治・大正期に開発された八幡・旭・新那須の3温泉を加えて「那須十湯」と呼ぶ。那須火山帯による火山性温泉で,泉質は硫黄泉,皮膚病・胃腸病に効果がある。湯本温泉の北にある有名な殺生石は,南北約150m・東西50mの地熱地帯で,硫化水素などを含む噴気ガスと温泉水のため,岩石は化学的風化作用を強く受け,表面から玉ねぎ状に剥離している。殺生石の名は,かつては硫化水素ガスによって鳥や昆虫が死んだことによる。県史跡に指定されている。この殺生石を科学的に最初に解明したのは,黒羽藩主大関増業といわれる。
【湯本村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【湯本(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7044130 |





