100辞書・辞典一括検索

JLogos

30

赤城根村
【あかぎねむら】


(近代)明治22年~昭和31年の自治体名。はじめ北勢多郡,明治29年からは利根郡に所属。片品川上流域,赤城山の北東山麓に位置し,南に赤城山系の黒檜・舟ケ鼻,東北には黒髪山系がある。北勢多郡青木・砂川・輪組・石戸新田・多那・生越(おごせ)・根利・日影南郷と利根郡小松・柿平・日向南郷(ひなたなんごう)の11か村が合併して成立。旧村名を継承した11大字を編成。村名の由来は,「万葉集」巻14(古典大系)に「上毛野久路保の嶺ろの久受葉がた愛しけ児らにいや離り来も」という歌が収められており,久路保の嶺が赤城山であり,そのふもとにあることによるともいう(利根郡誌・利根村誌)。役場を輪組に設置。明治24年の戸数315,人口は男817・女786,学校3・水車場24。同31年から数年間小松で黄銅鉱,柿平で銀の採掘が行われた。同33年原野の開拓・植林,桑園の改良,養蚕業の改良などを目的として農会が設立された。同44年青年会設立。大正11年の戸数464・人口3,287(男1,702・女1,585)。同14年農事組合設立。昭和6年県木炭検査所沼田支所追貝派出所設置。それ以前は大正7年利根木炭同業組合がつくられ木炭の検査などが行われていた。農業組合は昭和7年に設立。昭和28年の世帯数538のうち製炭業従事世帯は156世帯(半年以上従事58・半年以下98)。沼田大間々線は大正9年県道,昭和29年主要地方道となった。同30年南郷地区までバスが開通。昭和24年生越の一部から二本松が起立し,12大字となる。同31年利根村の一部となり,12大字は同村の大字に継承。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7044275