阿左美沼
【あざみぬま】

新田郡笠懸町の東部,阿左美にあり,桐生市相生町に接している半人工の沼。新旧2つの沼からなり,西側の旧沼は周囲1.5km,面積12.68ha,最大水深約1.5mの浅い沼で,養鯉が行われ,観光地化している。東側の新沼は正式には阿左美東貯水池という人工の溜池で,周囲1.6km,面積19.14ha,最大水深約10m,水面標高129mで,桐生競艇場になっている。本来的には旧沼を指しているが,一般には両者を阿左美沼といっている。沼は阿左美台地と岩宿台地に囲まれた浅い谷の中に位置している。沼の中心部には「七ツ井戸」と呼ばれる湧水群があり,沼の北方でJR両毛線との間にも4か所の湧水があることから,この付近一帯は湿地帯で,湧水群の周辺が沼になったものと考えられている。大間々扇状地を流下する地下水が火山泥流堆積物に堰き止められて,八幡山の北側の凹地に湧出し湛水したものであろう。こうしてできた自然の沼が,いつから溜池として利用されるようになったか定かではないが,江戸初期のことと考えられている。寛文12年に岡登(おかのぼり)の用水ができた頃には,すでに灌漑用の溜池として機能していたと考えられる。現在,沼の水は南東隅の沼尻から出て,阿左美・岩宿両台地間の沖積低地の水田25haを灌漑している。一方,新沼は待矢場両堰普通水利組合の補給用溜池として,大正14年に築造された。待矢場水は渡良瀬川沿岸最大の灌漑用水であるが,渡良瀬川の平時の水量が少ないために,沿岸9用水組合の間でしばしば水争いが起こっていた。そこで,用水需要が最大になる田植え期の13日間の用水源として,この新沼と相生貯水池を築造した。新沼の水源は岡登用水に求め,9月以降の非灌漑期106日間貯水するという方式をとっていたが,昭和48年からは,新沼から旧沼に入水し,再び岡登用水に戻すという循環方式になっている。昭和28年から養鯉が始まり,同31年暮れからは桐生競艇に沼を貸している。それ以後,岸辺はコンクリートで固められ,沼の周辺は駐車場となり,沼の北岸一帯のアシ原は姿を消した。かつて阿左美沼はジュンサイの産地であった。大正13年の「笠懸村勢要覧」によれば,ジュンサイの年産額は60貫となっている。昭和初期までビン詰にされて売られていたという。昭和10年以降観光地として開発された。沼辺には1,000本近い桜やツツジが植えられ,沼には京都から取り寄せたという水蓮が咲き,貸ボートや釣舟も浮かび,都市近郊の行楽地として親しまれていた。県観光課の統計によると,年間の観光客は昭和37年約6万6,000人,同46年27万人を超え,以後20万人以上となっている。しかし,開発が進むにつれて水は濁り,沼の自然はほとんど壊滅状態となり,わずかにアシとマコモをみる程度になってしまった。飛来する渡り鳥や生息していたサギ類の数もめっきり減っている。ともあれ,阿左美沼は灌漑用水の確保という本来の機能を維持しつつ,競艇により莫大な利益を上げて,笠懸町はもとより,周辺市町村のドル箱になっている。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7044332 |