新町
【あらまち】
旧国名:上野
(近世~近代)江戸期~昭和42年の町名。江戸期は城下町伊勢崎の町人町。「伊勢崎風土記」に町名が見える(県史料集2)。伊勢崎城の東を南北に走る道沿いの町で,北は紺屋町が続き,南は東西の町並みの本町と接する。東には八軒町がある。寛永19年の検地帳(伊勢崎市立図書館蔵文書)による名請人筆数31,ほかに新町のうらとして2筆も見える。また「伊勢崎町新古日記」の宝暦13年屋並間数・軒数等書上(同前)によれば,間数は本町と接する地点の高札場角から上の角まで140間,家数55うち店借26。「伊勢崎風土記」によれば,伊勢崎の六斎市はもと本町のみで開かれていたが,寛永20年当町に11日と26日分が分けられ,のち万治2年には西町へ朔日と16日分が分けられ,3町で開催することとなった。当町への分市にあたっては,町づくりに活躍した役人の子が藩主の小姓を勤めていたので,その子を通じて願ったという(伊勢崎町新古日記/伊勢崎市立図書館蔵文書)。なお当町の市神は,古くは天王柱が建てられているばかりであったが,寛延2年許可を得て石宮を建立した(同前)。本町では享保年間から湯屋が開業していたが,当町でも宝暦6年平六が湯屋を開業した(同前)。安永10年八軒町を火元とする火事で類焼したが,天明2年には当町から出火して49軒を焼き,また天保7年には新町裏から出火,武家屋敷まで類焼した。明治5年郵便取扱所設置。同16年間之町の一部を編入。同18年の戸数89。同44年の戸数160・人口832。世帯数・人口は,大正9年139・829,昭和5年129・795。同15年117・668,同25年143・676,同35年141・702,昭和20年戦災による焼失戸数153。町名は,明治22年伊勢崎町,昭和15年からは伊勢崎市の通称町名として存続。昭和42年大手町・本町となる。
| KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7044396 |