乙母
【おとも】

旧国名:上野
神流(かんな)川流域左岸に位置する。東は檜峠で,平坦地が少なく北側はすぐ高峰の山に連なる。地名の由来については木曽義仲の四天王,今井四郎兼平の遺児が郎党と乳母に付き添われて,当地にたどりつき住みついたという伝説がある。郎党の住んだところが乙父(おつち),乳母の住んだところが乙母であるといわれる。乙母・乙父には今井姓が多い。また,オトモは川が乙の字なりに曲っているところを指したという説もある。さらに,アイヌ語説もあるが,いずれも定かではない。檜峠の円墳は長さ33尺・高さ18尺,諸城の方は,前方後円墳で長さ230尺・高さ51尺と記録されている(上毛古墳綜覧)。戦国期の城跡を諸城と呼び,小字名になっている。
【小共村(中世)】 南北朝期に見える村名。
【乙母村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【乙母(近代)】 明治22年~現在の上野村の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7044846 |





