片山
【かたやま】

旧国名:上野
鏑(かぶら)川右岸の片山長根段丘上の平地に位置する。同川左岸の北部中山丘陵に天蓋山があり,南面は片山分であるが,川に迫り屏風岩という断崖である。地名は,その地形に由来する。天蓋山の中央に約2mの赤岩が突出,仏体の形をなしており,天蓋観世音と称される(上野名蹟図誌)。川寄りに,縄文・弥生・須恵・土師などの土器包蔵地があり,円墳7基がある(上毛古墳綜覧)。ここから三角縁神獣鏡2面が出土。武蔵七党のうち有道姓児玉党に片山氏があり,当地に拠ったと考えられる。片山刑部太郎・同八郎太郎は,和田合戦に加わり,幕府(御所)方戦死者50人に記される(吾妻鏡建保元年5月6日条/国史大系)。武蔵七党系図によれば,弘安8年の霜月騒動に片山基重は上野守護安達氏に従って誅されたという。「上野国神名帳」多胡郡には従五位馬片山明神が記される(総社神社蔵/県史資料編6)。飛地遠出居(おんでい)は片山氏の出城跡と思われる。地内に中世の遺物が散在する(吉井町誌)。
【片山(中世)】 室町期に見える地名。
【片山村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【片山(近代)】 明治22年~現在の吉井町の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7044939 |





