上落合
【かみおちあい】

旧国名:上野
鏑(かぶら)川と鮎川の合流点付近に位置する。天正14年3月10日の和田信業充行状(木島文書/県史資料編7)に「落合之前田五段」と見える。地名は,鏑川と鮎川の流れが落ち合うことから起こり,同じ郡内にある烏川と神流(かんな)川の合流地落合新町に対して西方上流にあたるため上落合という(上野国誌)。地内には昭和2年国史跡に指定された周湟と形象埴輪を有する七輿山古墳や,同48年県史跡に指定された伊勢塚古墳がある。また,宗永寺に保管される旧重要美術品の馬鐸・舟形石棺は,付近の古墳から出土した。城山・馬場下・屋敷裏・天神・三島・天台・長津などの地名があり,城山は段丘上の塁跡で,代官屋敷から直線状の道があった。
【上落合村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【上落合(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7045003 |





