川内
【かわうち】

渡良瀬川左岸,北の足尾山地に源を発し同川に注ぐ山田川・小倉川などによって開削された谷間に位置する。地名の由来は,合併した5か村が渡良瀬川の内側に位置することから起こったという(山田郡誌)。山田川・小倉川に沿って縄文・弥生時代の遺跡が点在し,須永の千網谷戸には縄文晩期の集落跡があり,さらに奈良・平安期にかけての住居跡も発見されている。鎌倉初期には須永御厨も建立され,伊勢神宮の所領となっていた。地内にあった金山城の支城谷山城については,天正2年と推定される年未詳10月18日の由良国繁宛足利義氏書状写(集古文書/埼玉県史資料編6)によると,「属芳春院,北敵之模様節々言上,喜入候,然者,谷山落居之由,一段無心元候」と見え,この年,上杉謙信は東上州に進出し,金山城主由良国繁と戦っており,その支城谷山城を攻略したものである。しかし,これに関しては混乱がみられ,同年と推定される年未詳10月19日の太田道誉宛謙信書状写(太田文書/同前)によれば10月15日に仁田山の城を攻略したとしている。谷山城は桐生市川内町1~5丁目字麦生小路の北方にあり,遺構は現存している。また仁田山城はその北の石尊山頂にあり,谷山城とともに一体を成していたものである。
【川内村(近代)】 明治22年~昭和29年の山田郡の自治体名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7045133 |





