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後箇村
【ごかむら】


旧国名:上野

(近世)江戸期~明治7年の村名。甘楽(かんら)郡のうち。稲含山の北東支脈に位置し,地内北部は鏑(かぶら)川南部の上位河岸段丘南側平坦部にあたる。小幡藩領。村高は,「寛文郷帳」で「後ケ村」と見え980石うち田方292石余・畑方687石余,「元禄郷帳」も同高,「天保郷帳」1,054石余,「旧高旧領」も同高。年不詳の小幡領村々石高・人数・年貢等書上帳(松浦家文書/県史資料編9)によると,高1,054石余,うち本田が高980石,その反別は田26町7反余・畑56町3反余,新田が高74石余,その反別は田6畝余・畑15町3反余,小物成は真綿23把・大豆14石8斗余,四季打鉄砲3を所持,寺院は曹洞宗千手山慶正寺・天台宗天満山宝幢寺・天台宗修験仙蔵院,家数186・人数789。中山道松井田宿の加助郷を勤め,嘉永5年の松井田宿明細帳(安中市教育委員会蔵文書/県史資料編10)による勤高980石。幕末の改革組合村高帳では,小幡村寄場組合に属し,高1,054石余,家数151。明治4年小幡県,群馬県を経て,同6年熊谷県に所属。同7年南後箇村と改称。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7045384