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子持神社
【こもちじんじゃ】


北群馬郡子持村中郷にある神社。旧郷社。祭神は木花咲耶姫命・磐筒女命ほか8柱。社伝によると日本式尊が蝦夷征討の折に安産子育の神として創建したとも,また嵯峨天皇の代に創建ともいう。この地は古くは笄(たけべら)山と称し,皇妃吾妻媛が竹のヘラでへその緒を切ったのに由来するといい,のち子持山と称したと伝える。「上野国神名帳」(総社神社蔵/県史資料編6)の群馬郡東郡に従五位子持明神と見える。赤木文庫本「神道集」の上野国児持山之事には伊勢国度会(わたらい)郡の地頭阿野権守保明の娘子持御前の説話を載せる。社殿は貞治6年に現在地より約2kmの奥院の地に建てられたという。永正10年正月に長尾某が子持山に禁制を出している(子持神社文書/県史資料編7)。享禄3年に上杉憲顕が現在地に造営遷座した。永禄10年5月1日に武田信玄は神領を寄進し(同前),天正10年2月26日には北条高広が渋川入沢村で「十弐面(ママ)参貫五百文」の地を寄進し,毎月の縁日に大般若経を転読し武運長久と子孫繁栄を祈祷した(同前)。明治5年郷社に列格したが,翌年野火で焼失し,戦後再建。例祭の5月1日は子持山の山開き,産婦の守護神として参詣者が多い。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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