西鹿田
【さいしかだ】

旧国名:上野
大間々扇状地の桐原地形面に属し,扇頂部の西側の微高地に位置している。東は稲荷山・峰・向山・和田の山々が続き丘陵をなし,西境を早川が流れ,南東には凝灰岩の露頭をもつ天神山がある。地名の由来は不詳だが,古くは佐位郡に属し,「佐位鹿田」と書かれたことがあると伝わる。早川沿いの段丘上の畑地には,広い範囲に遺物の分布がある。特に中島遺跡・西原・西原南・高橋の4地区は分布の密度が高く,ともに縄文時代の土器が多い。東側丘陵地帯も,縄文前期から弥生終期にわたる遺物の出土が多く,稲荷山遺跡から発見された縄文前期の土器群の中には浮島式および興津式と呼ばれる貝殻使用の土器群が出土している。なお稲荷山には縄文時代住居跡18軒,弥生時代住居跡8軒,計26軒の集落群が発見されている。天神山山麓には6世期中頃の竪穴式系の古墳4基,7世紀頃の横穴式古墳1基が発見されており,いずれも天神山産の凝灰岩製の石棺である。また天神山南麓平地部に製鉄滓のカナクソが各地に埋まっており,製錬所のあったことを物語っている。天神山の馬見岡凝灰岩は岩質がバブル型火山ガラス質で,村内古墳の石室・石棺,中世の凝灰岩製五輪塔・石仏・層塔などに使用されている。また各地に残存する中世の武将らの供養塔・五輪塔・層塔などの破片を分析調査の結果,天神山より30km内外にあたる県内および埼玉県・栃木県の一部を含め25市町村,51か所のうち43か所の石造物が天神山原石の可能性がきわめて高いという結果が出た。遠く中世に,はるばるこの地から搬出されたものと思われる。
【西鹿田村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【西鹿田(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7045486 |





