左京分村
【さきょうぶんむら】

旧国名:上野
(近世)江戸期~明治7年の村名。甘楽(かんら)郡のうち。高田川下流右岸に位置する。小幡藩領。村高は,「寛文郷帳」で「左京村」と見え196石余うち田方189石余・畑方6石余,「元禄郷帳」196石余,「天保郷帳」275石余,「旧高旧領」も同高。元禄10年から中山道坂本宿の定助郷村となり,助郷高250石で勤めた(松井田町誌)。年不詳の小幡藩領村々石高人数等書上帳(松浦家文書/県史資料編9)によれば,村高275石余うち本田255石余・新田19石余,反別は本田が田14町2反余・畑10町4反余,新田が田3反余・畑3町1反余,家数50・人数206,百姓預林3,寺院は真言宗長慶山正谷寺などとある。幕末の改革組合村高帳では,七日市村・一宮町両寄場組合に属し,高275石余,家数45。明治4年小幡県,群馬県を経て,同6年熊谷県に所属。同7年上高田村の一部となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7045519 |





