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敷島公園
【しきしまこうえん】


前橋市街地の北西部,敷島町にある公園。大正14年創設。西は利根川,東は広瀬川に挟まれ,3,000本余の老松に囲まれた桜とバラの名所。上毛三山をはじめ,上信越国境の山々の眺望にも恵まれた景勝地。現在では,自然の松林と池沼を中心とした市営の公園とバラ園17.6ha,県営総合グラウンドのある運動公園18.7haからなり,隣接する敷島緑地15.6ha(利根川の現河川敷利用)を合わせると県内第1の都市公園となっている。この公園の沿革は,大正11年に前橋市が旧河川敷でうっそうたる松林をなす官有地4ha余の払下げを受けたことに始まる。大正13年に官有河川敷と河原地6.2haを市が無償で借り受け,同14年3月運動競技場を新設した。当時は前橋市の2番目の公園ということで第二公園と呼ばれていたが(第一公園は前橋公園の別名),同年10月公募により敷島公園と命名された。昭和10年以後も官有地の払下げや私有地の買収により拡張され,河跡沼も整備して,慈光池と名づけられた。第2次大戦により一時荒廃したが,昭和27年に南部に県営陸上競技場が新設され,県営敷島球場とともに運動公園としての機能が強化された。その後も水泳場・テニスコート・サッカー場・ラグビー場などが増設され,昭和44年には全国高校総体,同58年にはあかぎ国体の主会場となった。この公園を代表する松林は,郷土の詩人萩原朔太郎が好んだところで,昭和30年5月の13回忌を記念して「帰郷」の詩碑が建立された。また,市内大手町にあった生家の土蔵や離れ座敷・書斎などを移築して萩原朔太郎記念館として保存されている。この記念館に隣接して,前橋市の市花バラを約200種2,000株を集めたバラ園があり,新名所になっている。昭和51年5月開園,園内にはにおいの森や熱帯植物園・日本庭園・展示館などが併設されている。また,生糸の都前橋と縁の深い旧国立蚕種試験場の本館が昭和57年に移築され,蚕糸記念館として保存され,館内には関係資料や用具類が展示されている。この建物は明治末期を代表する洋風建築で,県重要文化財に指定されている。公園の中心をなす慈光池はもと利根川の旧河道の一部で,その西側にはお艶が岩と呼ばれる岩が露出している。この岩にはお艶という美女にまつわる悲話が伝えられており,岸辺には観音像が祀られている。公園に隣接して,敷島浄水場・県立水産試験場・県教育センター・老人福祉センターしきしまなどがある。公園とその周辺地域181.05haは敷島風致地区と特別禁猟区に指定されている。この公園一帯は「水と緑と詩のまち」前橋のシンボルゾーンとなっており,市民の憩いとスポーツと文化の地として親しまれている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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