下後閑
【しもごかん】

旧国名:上野
碓氷(うすい)川支流の九十九(つくも)川に後閑川が合流する付近の九十九川左岸に位置する。地内には弥生時代の住居遺跡と思われる北野寺遺跡があり,壺型土器や甕型土器が出土している。またこの遺跡の南方からも多くの土器が出土しているところから集落跡と思われる。戦国期の嘉吉元年上州入りしていた依田内匠頭忠政は後閑城を築城,居城した。その後北条政時,ついで新田景純が居城したが,その子信純は永禄6年武田信玄に属し,後閑氏と改めた(後閑の歴史)。天正18年廃城となったが,後閑城跡は中後閑・下後閑との境界にあり,昭和44年市史跡に指定された。中世には後閑郷が見える。
【下後閑村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【下後閑(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7045669 |





