下芝
【しもしば】

旧国名:上野
榛名(はるな)山南東麓,烏川支流榛名白川中流左岸に位置する。室町期に見える西芝村,戦国期に見える芝之郷は当地付近と推定される。近世初頭までは東明屋・西明屋・上芝とともに箕輪城下を形成し,上芝とともに下箕輪とも称された。下箕輪については,永禄11年正月23日の武田信玄定書(中沢文書/県史資料編7)に「一,下箕輪之内 参貫文」と見え,極楽寺に寄進している。地名は,慶長3年箕輪城主井伊直政が居城を中山道和田宿(現高崎市)へ移したため人家も高崎へ移り,耕地は荒れて芝草が生い茂ったことによる(箕郷町史)。天台宗下芝山万福寺には,安永5年の大きな宝篋印塔と応永28年の宝塔がある。永禄10年の箕輪城落城後内藤修理亮が入城するが,「箕輪軍記」によれば,その部将として「治部を下芝」に配置したという。
【下芝村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【下芝(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7045684 |





