菅野荘
【すがののしょう】

旧国名:上野
(中世)鎌倉期~南北朝期に見える荘園名。甘楽(かんら)郡のうち。「吾妻鏡」仁治2年2月25日条(国史大系)に「長掃部左衛門尉秀連与高田武者所盛員,於前武州(北条泰時)御前遂対決,是上野国菅野庄内境相論事也」と見える。高田盛員は「尊卑分脈」によると,美濃国住人であったが,のちに上野国甘楽郡菅野荘に移住したとあり,当荘内高田を名字の地としたと推定される(国史大系)。鎌倉末期頃と推定される室町院所領目録(八代恒治氏所蔵/県史資料編6)には「一,六条院領……上野国菅野庄〈同(姫宮御方 西園寺)〉」と見え,皇室領荘園であった。「勘仲記」弘安6年10月9日条には安嘉門院五七日の法事用途として2貫500文を負担していたことが知られる(史料大成)。室町期と推定される年未詳4月28日の小野沢長春給分注文(正木文書/県史資料編5)には「小野沢源四郎給分……一,丹生郷内菅野方半分」と見え,当荘が丹生郷に属していたことが知られる。現在の富岡市西部一帯に比定される。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7045888 |





