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長根
【ながね】


旧国名:上野

鏑(かぶら)川に注ぐ天引川右岸,長根川右岸および大沢川の左岸丘陵の尾根とに囲まれて位置する。鏑川の浸食で作られた上位と下位の河岸段丘にわたっている。地名の由来について「地名辞書」は,現在は吉井村のうちであるが,かつては西に離れて別村を形成し,東西にわたる低峰の下に長くめぐっており,長根の名はこれにちなむと記す。縄文・弥生・須恵・土師などの土器包蔵地が広がり,南西部台地には群集墳44基がある。安坪古墳群は円墳,町史跡の恩行寺古墳は,直径40mの円墳。そのほか下長根に3基の円墳がある(上毛古墳綜覧)。俗称長根タンボは古代における条里制の遺構と推定されている(多野藤岡地方誌)。室町期に医王山悉地院恩行寺と改称される鎌倉期建立と伝える薬王坊,常行院(補陀落山長福寺)があり,ほかに中世の板碑・五輪塔・宝篋印塔が10基を数える。長根城は自然濠で東・西両城に分かれた一城別郭の構で,天文・永禄年間の間に小林氏,その後は長根(小河原)氏が居城。永禄10年小河原氏が神保氏と長根衆を率い,武田信玄に味方して信州生島足島神社に納めた起請文や,天正17年小林氏が熊野権現(現在長根神社に合祀)に奉納した延享4年改鋳の鰐口が現存する。同19年松平家治(奥平氏)は長根7,000石を知行し,陣屋を長根に置き,死後弟忠明が遺領を継ぎ,元和元年転封まで在城。
長根(中世)】 戦国期に見える地名。
長根村(近世)】 江戸期の村名。
長根村(近代)】 明治9~22年の村名。
長根(近代)】 明治22年~現在の吉井町の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7046396