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八幡宮
【はちまんぐう】


高崎市山名町にある神社。旧郷社。祭神は誉田別命・息長足姫命・玉依姫命。山名八幡宮と通称する。社伝では新田氏の祖義重の子義範が山名城にあって,安元年間に豊前国宇佐八幡を勧請し社殿を造営したという。後醍醐天皇の孫尹良親王が山名城に滞在中,城主世良田政義の娘が親王の子を懐妊し,当社に安産祈願をして男子が誕生し,良王君と名付けられたといわれ,以来安産・子育ての守護神として崇敬されている。暦応3年11月9日に山名時氏は大般若免供僧職1口付の田2反を寄進した(蜷川家文書/県史資料編6)。貞治3年3月12日に関東管領上杉憲春は坊地1宇を寄進し,供僧は7坊からなる(蜷川親治氏所蔵文書/同前)。別当職・供僧職は山名氏が補任しており,応安6年11月1日に鳥居西田2反が(同前),明徳3年4月29日には御供料として田1反が寄進された(同前)。応永11年8月7日に山名時熙は山名郷内の土貢10貫の下地を当社舞会要脚として寄進し(蜷川親治氏所蔵文書/県史資料編7),同14年2月9日には代官入部時の煩いを停止した(同前)。享禄5年5月20日某憲包は大鳥居造営の勧進を吉祥院に令している(同前)。背後の八幡山には万葉歌碑が建っており,その奥の沢には謡曲「鉢の木」にある山本宿があり,宿を見下ろす山に山ノ上碑が建っている。当社の裏道は鎌倉街道と伝える。社宝の剣は天国作といい,新田義範が創建の時奉納したと伝える。市重文の算額もある。慶長5年馬庭念流の樋口定次が村上天流との試合に当社に祈願し,満願の日に社前の大石を木刀で打ち割り,烏川畔でみごとに天流を打ち破ったと伝えられている。本殿は裏神社という変わった建築様式で背面からも参拝できるようになっており,後ろの屋根は千鳥破風の下に唐破風をつけている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7046653