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榛名神社
【はるなじんじゃ】


群馬郡榛名町榛名山にある神社。延喜式内社という。旧県社。祭神は火産霊神・埴山毘売神。用明天皇元年に創建されたと伝えるが,元来榛名山を神体とした農業神としての自然崇拝から始まったものと考えられている。「延喜式神名帳」の群馬郡3座の1つで,「上野国神名帳」(総社神社蔵/県史資料編6)には正一位榛名大明神とある。赤木文庫本「神道集」の上野国九ケ所大明神事に六宮春名満行権現とあり,本地は地蔵菩薩という。中世には神仏混淆により榛名山寺や厳殿寺などと称され,神社は満行宮で,本地は十一面観音であったが勝軍地蔵となり,南北朝期の様子は頼印大僧正行状絵詞(県史資料編6)に詳しい。一時は僧坊3,000ともいわれ修験道の一大霊場を形成した。観応3年5月9日の今川範国施行状で頼印に榛名山執行職と寺領三蔵が与えられた(同前)。応永24~31年頃と思われる年未詳3月28日の足利持氏書状では,寺領の上野国石神・石津・三倉・毛呂田中山・淵名荘内花香塚郷の田畠在家山野林などが安堵されている(榛名神社文書/県史資料編7)。また永正10年4月吉日には長野伊予守憲業が大戸要害攻略に際して当社に参詣し,100疋の下地を榛名満行権現へ寄進するという(同前)。長野氏・武田氏・真田氏らの信仰と保護を得て,慶長19年9月5日に徳川家康は榛名山法度を出した(榛名神社所蔵/県史資料編10)。江戸期には上野寛永寺の管下に属し,別当兼学頭が派遣され一山を管理した。また,関東甲信越一帯に榛名講が組織され参詣者のための宿坊は天保年間には74を数え,御師も各地に榛名信仰をひろめた。明治元年の神仏分離令により榛名神社となり,同17年県社に列格。社殿は寛政4年に改築された権現造りで,「お姿岩」と呼ばれる奇岩に半ば組みこまれており,県重文。県内唯一の木造三重塔や,元亨3年在銘の県内最古の鉄灯籠,関流算額はともに県重文,矢立杉は国天然記念物で,そのほか文化財や古文書も多数ある。なお,天狗祭・筒粥神事・御岳祭・神楽祭などの神事が行われる。太々神楽は36座あり町無形文化財。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7046712