東金井
【ひがしかない】

旧国名:上野
金山丘陵東麓一帯およびその東部渡良瀬川中流右岸の平坦部に位置し,山麓と洪積台地・沖積低地からなる。金山丘陵よりのびる枝状の小丘陵も幾つか含み,山麓より渡良瀬川方向の東および南へ緩やかに傾斜している。地名の由来は,前時金居町と称していたが(郡村誌),金居は金鑄であり鍛冶人の居住した所といい,東を冠するのは強戸(ごうど)地区の北金井,新田町綿打地区の金井と区別したためと思われる(山田郡誌)。中世の山城といわれる金山城との関わりが深く,地内の中央を宿というほか下宿・入宿・宿裏・寺ケ入・早道場などの小字があり,横瀬氏丸屋敷の時代には城下町,金山城隆盛期には搦手の根小屋として発達した地と思われる。6つの出丸のうち丸屋敷の砦,13~15の城への通路のうち南金井口がこの地内にあり,隣接して出丸で金井口,通路で金井口と金井曲輪(以上現太田)があった(群馬県古城塁址の研究上)。史料を伴う中世の遺跡として狸ケ入古館跡・丸屋敷跡・寺ケ入古戦場・縁応寺跡・永寿寺跡がある。入金井神明宮の社側には高さ5mの金井滝と呼ばれる滝があったが,近年懸崖の崩壊により旧形を失っている。地内には縄文・古墳時代の塩ノ山遺跡,古墳時代の亀山古墳群・亀山窯跡,内並木古墳群,原店遺跡,入宿Ⅲ遺跡がある(県遺跡地図)。
【東金井村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【東金井(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7046742 |





