藤岡藩
【ふじおかはん】

旧国名:上野
(近世)江戸期の藩名。緑野(みとの)郡藤岡に居城を構えた譜代小藩。天正18年徳川家康の関東入部に伴い,芦田(松平)康貞が緑野郡と武蔵国榛沢郡の2郡内で3万石を与えられ,緑野郡藤岡を居所に定めて当藩が成立した。同年康貞は築城に着手し,翌19年完成間近い藤岡城に入城した。城地は6万4,200坪,その周囲38町余の規模で,1万2,080坪の本丸を中心に,伊奈・志田・榛沢・矢沢・望月・田ノ口の7郭が組み合わされ,城門6・櫓8・柵門5・井戸13・物見矢掛り61・諸士屋敷217を有していたといわれるが,不明な点が多く,一説には1辺が170mの正方形に近い単郭構造であったともいわれる。城の南に形成された城下町は大戸町・動堂町・岩村田町・芦田町などからなり,芦田町通りと動堂町通りが東西に,大戸町通りと駒形町通りが南北に貫通していた。城下町としての形態は整えられたが,慶長5年康貞は徳川家康直臣の小栗三助を殺害したため除封され,廃藩となった。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7046868 |