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富士見村
【ふじみむら】


(近代)明治22年~現在の自治体名。はじめ南勢多郡,明治29年からは勢多郡に所属。赤城山の山頂から南西部にわたって位置する。地形は複雑で,赤城山頂の標高1,828mから,南部丘陵地帯の140mに至る。5°~15°の傾斜地帯で,東西約6km・南北約19km。村域の北部約2分の1は山林,南部丘陵地帯のうち東部は白川による扇状地を形成し,西部は細ケ沢川,法華沢川などの河川が流れる。台地はほとんど畑で,土質は赤城火山灰質の土壌である。集落は南部の地帯に散在する。田島・引田・横室・原之郷・小沢新田・時沢・小暮・皆沢新田・石井・漆窪・市之木場・山口・米野の13か村が合併して成立。旧村名を継承した13大字を編成。村名は,村内の各地から富士山を望むことができること,また日本の象徴富士山に由来する富士見十三州にもちなんで命名された。役場ははじめ原之郷に仮事務所を置き,その後田島地内を4回移転,昭和43年新庁舎を建設。明治24年の戸数1,021,人口は男3,775・女3,746,学校3・水車場39。明治6年開校の原小学校・同時沢小学校・石井小学校のほかに,昭和25年時沢小分校として開校した白川小学校が同30年独立,赤城小学校と一時呼称された。昭和22年富士見中学校開校。明治37年石井尋常高等小学校箕輪分教場として発足した箕輪分校は昭和46年白川小学校に統合された。白川小学校の前身である赤城小学校は,赤城山分校を設置し,小学校・中学校を併置した。赤城山分校は富士見中学校および白川小学校の分校として現在運営されている。なお昭和39年富士見中学校,同47年原小学校,同49年時沢小学校赤城山分校,同51年石井小学校,同52年白川小学校が新校舎を落成。旧街道によって各方面に通じていた村内の交通も旧街道を改修・新設して便利となった。近年赤城有料道路が延長開通し,山頂を経て利根・沼田方面と結びつきが深まった。当村を運行する路線バスは東武鉄道・群馬バスの2社。昭和2年前橋電話がはじめて村役場と農協原事務所に引かれた。宝永元年の水害をはじめとして当村域には江戸期から水害・火山爆発・干害・霜害・雹害・凶作・不天候などの災害が記録されるが,昭和22年のカスリーン台風のもたらした水害は最大のもので,東原・小沢地区を中心に,死者104・重傷45・軽傷57,家屋の流失50・全壊6・半壊33・床上浸水30にのぼった(富士見村誌・同続編)。同35年赤城山南西麓の地は当村の大字赤城山となる。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7046885