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馬庭
【まにわ】


旧国名:上野

鏑(かぶら)川左岸に位置し,地形は馬庭段丘と中山丘陵とに大別できる。河床や丘陵から貝・木の葉やサメの歯,近年鯨の化石が発見された。縄文・須恵・土師などの土器包蔵地が広い範囲で点在し,集落内に古墳2基,東部に古墳群がある(上毛古墳綜覧)。「吾妻鏡」に見える麻禰屋四郎・同次郎は馬庭氏とも考えられるが未詳。戦国期には,永正6年武州鉢形城に連歌の会を催す馬庭豊前守重直(東路の津登),永禄4年上杉謙信の関東幕注文(上杉家文書/県史資料編7)に見える惣社衆馬庭氏,同10年信玄に忠節を誓う起請文を信州生島足島神社に高山衆と連名で捧げた馬庭中務少輔家重吉などが見え,当地に拠った武士と考えられる(吉井町誌)。中林城・馬庭城があり,前者は,鎌倉期の館に近い構造で時代的にかなり古い。中心部辺りに古墳があり,墳丘上に宝塔がある。宝塔は南北朝期,馬庭氏関係のものかと思われる。字内出にある馬庭城は囲郭式で,東外郭には小規模な城下町宿がある(群馬県古城塁址の研究下)。馬庭氏は弘治年間飯玉神社を創建,鬼門に随雲寺,裏鬼門に諏訪神社を祭祀。天正18年北条氏と運命をともにした馬庭氏の居住地跡に,一族の高麗氏が武州から移り随雲寺を現在地に再興。念流を伝える樋口氏が高麗家に寄寓土着,ここに馬庭念流が定着。中山入道が谷に住む時期もあり,戦国期以来の兵法書が伝世する(吉井町誌)。地名の由来は,多胡碑に見える羊という人物の愛馬を産した地とも,調教の場とも伝え,愛馬を祀る竜馬観音堂がある。
馬庭(中世)】 戦国期に見える地名。
馬庭村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
馬庭(近代)】 明治22年~現在の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7047023