三国峠
【みくにとうげ】

利根郡新治(にいはる)村永井と新潟県南魚沼郡湯沢町三国との県境にある峠。標高1,244m。三国山脈の三国山(1,636m)と稲包山(1,598m)との鞍部に位置する。名称は上野(こうずけ)・越後・信濃の3か国の境にあることに由来しているが,実際の3か国の境は稲包山の西約8kmの白砂山(2,140m)になっている。峠越えの歴史は古く,尭恵法印の「北国紀行」(文明18年)をはじめ,記録は中世までたどることができる。また,上州の渋川・高崎と越後の長岡を結ぶ峠越えの三国街道も中世には開かれており,戦国期には上杉謙信の関東出兵など頻繁に利用されていた。近世になると,佐渡で採掘した金銀を江戸に輸送するため,三国街道が整備された。同時に,越後諸藩の参勤交代にも用いられ,三国街道の往来は重要性を増していた。越後の米や海産物も三国街道を駄馬で利根川の川合河岸まで輸送されていた。しかし,信濃川の川舟や日本海の廻船を用いた輸送網が開設されると,峠越えの物資輸送は少なくなった。峠の麓集落である上州の永井宿は米の中継地としての機能をもっていた。明治18年に清水峠越えの新道が開通し,三国街道の人馬の往来は少なくなった。その後,清水新道が積雪による破損で利用できなくなると,三国街道は再び多くの交通を支えるようになったが,それも昭和6年の上越線開通までである。昭和34年に峠の下,標高1,200mの地点に延長1,218mの三国トンネルが開通し,三国街道は国道17号として整備され,日本海側と太平洋側を結ぶ大動脈としての機能を担うようになった。昭和60年関越自動車道の全通により,自動車交通の大量化と高速化が促進され,国道17号の交通量は往時よりも減少している。三国街道の旧道はそれぞれのトンネルの入口から通じており,徒歩約20分で峠に達する。峠には三国権現を祀る神社があり,三国山脈縦走の拠点でもある。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7047054 |