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箕輪
【みのわ】


旧国名:上野

榛名(はるな)山南麓に位置し,地内西部を榛名白川,中央部を井野川がそれぞれ南流する。地名は,榛名山の扇状地西明屋北部の地形が箕の形をしていることによるという。永正10年上野(こうずけ)国西毛の豪族長野尚業は長野郷(現高崎市浜川町)に住んでいたが,戦乱に備え西明屋椿山に築城し箕輪城と称した。当時は城を中心に東明屋・西明屋・矢原・金敷平一円を箕輪と呼んだ。城の東の東明屋は武家屋敷,西と南の西明屋は商人屋敷で,ともに城下町を形成した。道具屋敷・鍛冶屋敷の地名も残っている。天正18年井伊直政12万石の居城となったが,慶長3年高崎へ城も人も移ったため城下町はさびれ明屋(空屋)の家が多くなり,東明屋・西明屋と呼ぶようになったという(箕郷町史)。城主の長野氏は平城天皇の尊孫在原業平の後裔で,上野国長野郷に住み,郷名より長野氏を称した。これは高崎市の東部大類・綿貫地区まで達している。長野を姓とする住民もいる。長野氏は箕輪城を守るために神仏を深く信仰し,各宗派の寺院を建立したため寺院が多い。曹洞宗では松山寺・竜門寺・金竜寺・円通院・長純寺・天庵寺・滝沢寺・菩竜寺・竜昌寺,天台宗法峰寺・華蔵院・万福寺・真福寺・不動寺,日蓮宗妙福寺,浄土宗光徳寺,真言宗石上寺・松沢寺・善念寺・満勝寺。廃寺になった寺もあるが,文化財が多く訪れる人が多い。神陰流の剣豪上泉伊勢守は箕輪城主長野信濃守業政に仕え,箕輪城に居住し,落城後は二君に仕えずと諸国を修行しその術を研磨したという。京都では将軍足利義輝に謁し,宮中に参内して従四位下に叙せられた。塚原卜伝はその弟子で,矢原に住み伊勢守に仕え,小字卜神はト伝から名付けられた地名という。
箕輪郷(中世)】 室町期~戦国期に見える郷名。
箕輪村(近代)】 明治22年~大正10年の自治体名。
箕輪町(近代)】 大正10年~昭和30年の群馬郡の自治体名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7047121