宮崎
【みやざき】

旧国名:上野
西方の大桁(おおげた)山から神成(かんなり)山を経て字城山に連なる鏑(かぶら)川左岸の上位段丘上に位置する。貫前神社の西南約1・8km宮崎宿の西端には戦国末期まで,国峰城を主城とした小幡氏の支城としての性格をもつ宮崎城があった。上信国境の和美峠・内山峠・余地峠を抑える根拠地としての城でもあり,西方約1kmの要害城としての神成城に対し,里城としての宮崎城を合わせ一体として構成されていた。字名に城方・城谷・本城・櫓岡・徒士屋敷・城藪などがある。「上野国志」には「一宮の西一里にあり,永禄四年三月上杉立山叟〈憲政法名〉小田原攻の時宮崎和泉守従へり,小田原の役の時小幡彦三郎これを守る」とある。
【宮崎村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【宮崎(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7047135 |





