女影
【おなかげ】

旧国名:武蔵
「めかげ」ともいう(吾妻鏡)。県南部,小畦(こあぜ)川上流域の武蔵野台地に位置する。地名は,地内の千丈ケ池(戦場ケ池か)に投身した女「せん」の影が池中に現れたことに由来するというが不詳(新編武蔵)。池の近くは女影ケ原あるいは高麗原と称する古戦場。建武2年7月には北条時行軍と足利直義軍が激突している。さらに正平7年3月・観応3年5月にも南朝・北朝両軍の合戦が行われている(町田文書)。また女影ケ原は昔から「女影の迷い路」ともいわれ,平坦な台地上に細い道が多く通り,かなり旅人を悩ませたと思われる。地内東端を旧鎌倉街道が南北にかすめて通る。なお字姥田に古代の窯跡,字諏訪山には中世の十三塚がある。
【女影(中世)】 戦国期に見える地名。
【女影村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【女影(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7048337 |





