上常光村
【かみじょうこうむら】

旧国名:武蔵
(近世)江戸期~明治7年の村名。県東部,元荒川右岸の低地と大宮台地上に位置する。足立(あだち)郡鴻巣(こうのす)領のうち。もと常光村のうちであったが,正保年間頃までに上・下に分村。はじめ幕府領,一部が元禄8年江戸千駄木世尊寺領,残りの幕府領は同9年旗本藤堂氏の知行となり,幕末に至る。検地は慶長17年・寛永6年。村高は「田園簿」で325石余,うち田142石余・畑182石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに326石余。化政期の家数77軒。用水は笠原堰・宮地堰および栢間(かやま)村の堰から元荒川の水を引いて利用。旧家は河野氏を称する七兵衛家,古くは岩付太田氏の家臣で慶長年間頃土着したという。高札場は2か所。明治4年埼玉県に所属。同7年下常光村と合併して常光村となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7048620 |





