騎西
【きさい】

旧国名:武蔵
寄西・奇西・崎西・埼西とも書く。県北東部,見沼代用水に沿って位置する。地名の由来は,古く皇后領の私市部(きさいちべ)がおかれ,その部領使出身の私市党が当地を中心に勢力をはり,のち武蔵権守として活躍したことによる。中世には私市城(現騎西町根古屋)があり,一名根古屋城・山根城ともいわれ,「甲陽軍鑑」によれば戦国期に本間弥九郎・小田大炊助・同助三郎が居城し,永禄5年3月,上杉輝虎らに攻略されたという。江戸初期には松平氏の城下となる。羽生(はにう)・忍(おし)(現行田(ぎようだ)市)あたりから岩槻(いわつき)・菖蒲(しようぶ)方面への往来の馬継場で,3・8の日の六斎市が開かれ,特産の青縞が取引きされた。
【崎西(中世)】 戦国期に見える地名。
【騎西町(近世)】 江戸期~明治22年の町名。
【騎西町(近代)】 明治22年~昭和29年の自治体名。
【騎西町(近代)】 昭和29年~現在の自治体名。
【騎西町(近代)】 明治22年~現在の騎西町の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7048882 |





