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戸田の渡し
【とだのわたし】


豊島郡蓮沼(はすぬま)村・根葉(ねつぱ)村(現東京都板橋区)から足立(あだち)郡下戸田村(現戸田市)に至る中山道筋に設けられた荒川の渡船場。江戸期の記録によると,すでに天正年中から設けられていたといわれる。江戸期の概況は,天保13年の「中山道戸田渡船場微細御書上」によれば,川幅およそ55間,渡船場の御用地は下戸田村地内が長さ70間・幅20間,対岸蓮沼村・根葉村地内が長さ70間・幅8間であった。船数は馬船3艘・御召船1艘・伝馬船1艘・小伝馬船8艘を常備し,船頭が8人,組頭が1人,水揚人足30人が常時業務にあたっていた。なお,大通行の時は隣村の下笹目(しもささめ)村(現戸田市)・浮間(うきま)村(現東京都北区)が川助郷にあてられた。渡船の運賃は,平水1人3文・馬8文,中水で1人6文・馬12文,出水の際は1人12文・馬18文と水量に応じてきめられていた。江戸後期には,村内の河岸場とともに商品流通・交通の結節点として栄えた。その様子は渓斎英泉の「木曽街道蕨之駅戸田川渡場」によく描かれている。明治5年の「渡賃申請書」には,1日の交通量として,乗合750人・乗馬5疋・駄馬75疋・大小長持等3棹・両掛荷物8荷・人力車60両などが見込まれ,その収入は1月で100円余にのぼると推定されていた(埼玉県史料)。だが,同8年賃取橋である戸田橋が架設され,渡しは廃止された。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7050620