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七曲井
【ななまがりのい】


狭山(さやま)市大字北入曽(きたいりそ)字堀難井(ほりかねのい)にある古式の井戸。堀兼の井・マイマイズ井戸ともいう。不老(としとらず)川に近接する武蔵野台地(72m)にあり,古くから水利に乏しい土地であった。七曲井の名は,摺鉢状に,井戸口まで曲がり下っていく必要があることからいい,「マイマイズ」は,その形がカタツムリに似ていることにちなむ。この井戸の様式は,絵巻などにも描かれている古式のもので,「新編武蔵」には「当郡はもとより,他の郡にもあまたありて,何れも実跡とも定めかたし」と記す。宝暦9年の最後の大修復であろうと思われる記事をもつ宮野家旧蔵の文書七曲り修覆願之事によれば文永7年・文保2年・寛正4年に修理したことが見える。「廻国雑記」文明18年,道興准后が入間(いるま)川辺で詠んだ「俤ぞかたるに残る武蔵野や堀兼の井に水はなけれど」の堀兼の井も当地とする説がある。なお「太平記」の元弘3年の項に新田軍が分倍(ぶばい)河原の戦で敗れ「堀金を指して退く」とあり,井の名から地名への移行がうかがわれる。昭和24年,県史跡となる。形状は漏斗状で上部の直径約26m・下は井筒形で深さ約12m。北側に井戸へ下る道が蛇行状につけられ,下部ではらせん状になっており,斜度は45°前後。井筒部に当たる部分は径約3m,中央に松の丸太材で井桁を組んでいることがわかった。なお,慶安3年,川越(かわごえ)城主松平信綱が当地から約2kmのところを開拓し堀兼新田とし,宝永5年,川越城主秋元喬知が臣岩田彦助に命じ,新田集落にある堀兼の井(旧県跡)に碑文が建てられてからは,歌枕などに名高い「ほりかね」の名は,この一地域に限られる傾向がある(新編武蔵)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7050901