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物部天国渭地祇神社
【もののべてんくにいちぎじんじゃ】


所沢市北野に鎮座。通称北野天神社。祭神,物部天神社=櫛玉饒速日(くしたまにぎはやひ)命,国渭地祇神社=八千矛(やちほこ)命,天満神社=菅原道真。物部天神社・国渭地祇神社・天満天神社の総称である。景行天皇の40年,日本武尊が東征の折に当地に立ち寄り,櫛玉饒速日命・八千矛神(大国主命)の2柱を祀り,物部天神・国渭地祇神と崇称されたのに始まるといわれ,ともに「延喜式神名帳」に見える古社であると伝えられる。のち欽明天皇の時,先に日本武尊が納めた神剣に霊験があったことから天照大神を合祀して小手指(こてさし)明神とよんだ。さらに長徳元年菅原道真5世の孫修成が武蔵守になった時,勅許を得て京都の北野天神を分祀し,坂東第1の天満宮としたと伝えられ,この時から当地を北野とよぶようになったという。この頃はまだ3社は別殿であったが,いつの頃からか合殿とし,社名も北野神社と改めた。武門の崇敬も厚く,源頼義・義家が奥州攻めの折に祈願し,宿願かなって社殿を建立した。のち南北朝期の戦いで社殿は焼失したが,延文元年足利尊氏が再建,しかし足利義政の時,再び兵火にかかって焼失した。天正18年前田利家が社殿を再興し,翌19年徳川家康から朱印50石を受けた。元亀3年山口城主,山口平四郎資信が奉納した「北野天神縁起」は県文化財。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7052307