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箭弓稲荷神社
【やきゅういなりじんじゃ】


東松山市箭弓町に鎮座。祭神,保食(うけもち)神。平安末期の長元元年創立と伝える。長元元年下総(しもうさ)国千葉の城主,平忠常は下総に乱を起こし,安房(あわ)・上総(かずさ)・下総3か国を手中に治め,大軍を率いて武蔵国へ押し寄せた。その時甲斐守源頼信は長元3年忠常追討を命ぜられ,比企(ひき)郡松山の里,野久ケ原に本陣を張り,一泊した際に,当社に朝敵退治の願書を呈し,太刀1振,馬1匹を奉納して一夜祈願したところ,その暁白羽の矢のような形の白雲が起こって敵陣の方へ飛んだ。それを見て神のお告げと感じ,ただちに兵を起こして敵陣に攻め込み,忠常の兵は不意をつかれてなすすべもなく3日3晩の戦闘で壊滅した。頼信は凱旋の折,立派な社殿を再建し,箭弓稲荷大明神と称したと伝えられる。元文元年の古地図には野久稲荷とあるところから,古くは野久,あるいは矢久と書いたようである。現在の社殿は享保3年の島田弾正の建造とも,元禄年中の建造ともいわれるが,記録はない。商売繁昌・開運の神としてしられ,また境内のボタン園は関東随一といわれている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7052347