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大戸神社
【おおとじんじゃ】


佐原市大戸にある神社。祭神は天手力男命。社伝では,日本武尊が東征の時祭神を祀り社殿を創立したという。「利根川図志」には白鳳年中に天武天皇が創建したとある。平安期には香取神宮の末社として史料に見える。応保2年6月3日の香取大禰宜実房譲状で,実房は嫡子惟房に「末社大戸宮神主并社領」を譲与している(旧大禰宜家文書/県史料香取)。当社および大戸荘は平安後期頃に香取大禰宜家の所領となり,以後代々大禰宜家によって相伝された(同前)。鎌倉期から室町期にかけての当社神官は香取大禰宜家の支配下にあったが,応永20年9月27日付国分英胤神官補任状で,大戸荘の地頭国分氏が香取新五郎を「大戸荘大禰宜職」に補任している。この頃に神官進止権が国分氏に移った。当社および大戸荘の支配権は南北朝・室町期を経過する間にたびたび変化していた(源太祝家所蔵文書)。当社所蔵の天文2年3月1日付国分邦胤の判物は,当社の3月中午日祭礼に関するもの(大戸神社文書/房総叢書)。天正年間と推定される年月日未詳大戸神領支配状には,大戸社領のうち神主領2貫300文,大禰宜領2貫200文,諸社領8貫200文,寺領10貫とある(旧大禰宜家文書/県史料香取)。元禄13年12月日の香取大宮司勝房・大禰宜胤雪連署口上書案によれば,近世には香取神宮領1,000石のうち大戸村分の100石が当社に分与されていた(旧源太祝家文書/県史料香取)。現在の本殿は宝永4年に将軍綱吉が改修したものと伝え,拝殿は正徳2年の造営。明治6年に県社。社宝には鎌倉末期作の羅竜王・納曽利の2面,鎌倉期作の和鏡3面がある(以上県文化財)。このうち羅竜王面は,「利根川図志」に「昔同(香取)郡矢作野に天降り」した神面で雨乞いの祭に用いられていると特記されている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7053429