桜井藩
【さくらいはん】

(近代)明治初年の藩名。譜代。小藩。藩庁は望陀(もうだ)郡貝淵村(木更津市)。明治元年7月駿河国駿府藩の成立により,同国有渡(うと)・安倍・庵原(いはら)の各郡内に領地1万石を領有する同国小島藩主松平(滝脇)信敏が,のち領地を収公され,上総国に1万石で入封を命ぜられて成立。なお当初上総国周淮(すす)郡金ケ崎(君津市)に仮陣屋を置いていたため,金ケ崎藩とも称した。のち藩庁を貝淵村に移転し,士卒の邸宅を桜井村に設けたため桜井藩と称したという(房総通史)。表高は1万石であったが,実高は1万179石。管轄変更により望陀郡のみに集中。同年閏10月財政再建のための藩政改革が実施された。明治2年6月版籍奉還,同4年廃藩置県となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7054731 |